山梨県高等学校体育連盟
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 野呂瀬旗・秋山杯の由来

・野呂瀬旗(県高校秋季大会

 県下高校春季大会および県下中学校春季大会の優勝旗である、野呂瀬旗は山梨県バレーボール協会第6代会長野呂瀬秀夫(故人)氏のご意志により、 美津夫人が県バレーボール界の明日を担う中高バレーボールの発展と向上のため昭和56年に4月に寄贈された。
 野呂瀬氏は、昭和31年〜46年の15年間にわたり会長を務め、歴代会長のなかでも最も在任期間が長く、山梨県バレーボール界の普及発展のためにご尽力された。
 氏は山梨時事新聞社常務取締役時代に県バレーボール協会会長に就任され、2年後には中巨摩郡昭和村(現在の昭和町)村長となり、 昭和村を町に昇格する前年まで務められた。戦後の混乱期のなか、現在の県協会の組織の基礎を作り、財政基盤を確立された功績が特に大きい。 また、県協会役員の和を常に強調されて親睦団体『魂磨会』を提唱し発足させたのも氏のお力によるものである。





・秋山杯(県下高校新人大会)

 昭和34年11月、第9回山梨県総合東西対抗バレーボール大会(県協会主催)が県立吉田高校体育館で開催された。 県協会理事の秋山喜久氏も西軍のセンターとしてこれに出場していたが、試合中、ブロックをはじいた相手選手のスパイクボールを追って壁に激突、 意識不明の重体となった。吉田市内の病院に入院されたが5日後に帰らぬ人となった。
 葬儀は県協会葬をもって行われたが、ご遺族のご意志で香典の一部が寄贈され、長く氏のご遺徳を偲ぶため高校新人大会に優勝杯を作った。
 氏は昭和30年〜34年まで県協会理事を務められ、スポーツ商を営みながら特に櫛形・増穂・鰍沢などの県峡西南のバレーボールの振興にご尽力された。 巨摩高校監督時代の教え子のなかには、東京オリンピック・金メダリストの河西昌枝選手がいる。



 なお、野呂瀬・秋山両氏については、県協会40年史をご覧ください。


(本文は志村栄一氏により平成9年6月1日に作成された原文を一部改編し作成してあります。)









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